◆入試国語に対する誤解

国語の指導をしていると、時々生徒から出される疑問があります。

それは「個人によって考え方や感じ方は違うのだから、読解問題の答えは一つに決められないはずだ」というものです。

 

たしかに、この意見は一理あるのです。

 

たとえば、読書感想文が課題に出され、答え合わせをしたなどとは聞いたことがありません。また、学校の授業でも個人の感想を発表することがあるでしょうが、どれがもっとも良い感想かなどと決めることはないでしょう。

 

私自身の体験でも、高校時代に現代文の授業で感じ方は人それぞれでよいと担当の先生から言われたことがあります。それで、高校の定期テストのときに現代文は何を勉強して良いのかわからず途方にくれた記憶があります。

 

文章の解釈は個人によって違うほうが自然です。もし個人の考え方を修正しようとするのなら、それは洗脳にほかなりません。

 

 

しかし、入試となると事情が違います。

入試は合否という結果を出すことが目的です。ですから、基本的に誰が出しても同じ答えになる「客観的に答えが出せる問題」しか出題されないのです。

よく思い出してください。読解問題のはじめにつぎのようなことばがあったはずです。

 

 

「次の文章を読んで後の問に答えなさい」

 

 

 

入試の読解問題とは、提示された文章から読み取れる情報を根拠にして回答することが求められるものなのです。

 

 

この点で、個人の感受性や解釈の多様性を重んじる学校教育の国語と入試の国語とでは性質がかなり違っているといえるでしょう。

 

まず、ここをしっかりおさえてください。

 

 

 

さて、では、どのように入試問題の客観性が保証されているのでしょうか。

 

 

 

 

◆読解問題の客観性とは

 

例題をもとに、入試の読解問題の客観性について考えてみましょう。

 

 

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【例題】

次の文章を読んで後の問いに答えなさい。

 

太郎は、水筒の水を一口飲んだ。

水筒を振ってみる。水がチャプチャプ音をたてる。

「あと半分・・・・・・」太郎はつぶやいた

 

 

問 傍線部①のときの太郎の気持ちを説明したものとしてふさわしいものを後から選びなさい。

ア 水がもう半分しかないという悲しい気持ち

イ 水がまだ半分も残っているといううれしい気持ち

ウ 水などこれ以上飲みたくないという気持ち

エ 水が思いの外おいしくておどろく気持ち

 

 

 

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さて、正解はどれでしょうか? 

 

じつは、解答は「不明」なのです

 

この本文だけでは正解の選択肢を選ぶには根拠となる情報が少なすぎるからです。

 

 

 

では、次の文章ではどうでしょうか。

 

 

 

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【例題】

次の文章を読んで後の問いに答えなさい。

 

太郎は、水筒の水を一口飲んだ。

水筒を振ってみる。水がチャプチャプ音をたてる。

「あと半分・・・・・・」太郎はつぶやいた

太郎は周りを見回した。他の生徒たちはみな水筒の水を飲み干してしまっていた。

「だから言ったのに・・・。節約して飲まないとだめだって」

太郎はちょっと得意な気持ちになっていた。

 

 

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傍線部①の後の内容を読むと次のことがわかります。

 

水を節約して飲むようにと太郎がアドバイスしたにもかかわらず、多くの生徒が水を飲みきってしまいます。

太郎は自分の予測が当たったことと、自分だけ水があることに少しばかりの優越感を感じて「得意」になっています。

 

これを根拠とすると、選択肢の「イ」が正解だと判断できます。

 

 

「水が半分しか残っていないのかな」などと個人的な感覚で少ないと判断して「ア」を選んではいけません

 

 

本文で示された情報を根拠にして考えられる範囲で解答をだすのが入試国語の読解問題なのです。

 

 

 

 

 

 

 

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